4年半もアフィリエイター「ごっこ」をしていた話

 

アフィリエイト歴、4年半。

私、今更ながら気付いてしまったんです…。

 

私は今まで

アフィリエイター「ごっこ」をしていたんだ

ということに。

 

 

そんなアフィリエイター「ごっこ」の始まりは

遡ること、11年前。

 

2011年の9月の出来事です。

 

 

突然始まった義両親との同居生活…

 

2011年といえば、あの東日本大震災があった年。

あの大震災の3日前、私たち夫婦は入籍をしました。

 

それから半年が経った頃、

新婚でしたが、私は仕事で体を壊し療養中。

旦那も仕事がらみで体を壊しかけていました。

動けない女性と疲労困ぱいの男性

 

家事もろくすっぽできず、

仕事で大変な旦那を支えることもできない私。

 

「このままでは二人とも倒れてしまう」

 

と、無条件に「今すぐ帰っておいで」と手を差し伸べてくれたのが義両親でした。

手を差し伸べるイラスト

元々、私たちは義両親がしている家業を継ぐつもりで結婚していて、

いつかは同居するだろうな、とわかっていました。

私たち夫婦も、周りも。

 

だから、表向きは「家業を継ぐため」の同居。

急遽年度途中で退職した旦那の主な理由は、義父が足を怪我したため。

(実際に義父が4月に足を怪我していたので、それを理由に…)

 

近所の人たちから「若い人が帰ってきてくれていいなぁ」と言われた同居の始まりは、

実は私たちを守ってくれた義両親の優しさからでした。

馴染めない新生活

 

転がり込むようにバタバタと始まった義実家での同居生活。

こちらの都合で始まった同居なので

生活する場所があるだけ有り難い、のですが…

 

そこは、私にとっては初めての土地。

田舎の風景

 

知らない人だらけ。言葉も違う。

かなりの田舎なので若い人もおらず、話せる人もいない。

 

家の中では、性格もタイプも私と正反対の義母と、

自分の子どもが男の子しかいなかったため、私と何を話していいかわからず戸惑う義父。

義父とは天気の話をするので精一杯。

 

唯一話せる旦那がいない時間の、長いこと長いこと。

昼間、心を許せる人がいない孤独感。

義両親のちょっとした言葉に大きく傷つき、

毎晩のように旦那に愚痴ったり、枕を涙で濡らしたりする日々が続きました。

布団の中で泣く女性

家業見習いとしての生活もスタート

 

という日常に加え、

私は実際に家業見習いとして勉強もしていました。

 

初めて出会う世界。

用語がわからないため会話についていけず、

ここでも疎外感を感じました。

疎外感を感じる女性

その世界の常識がわからない故の失敗も数知れません。

 

しかも、この家業というのがちょっと特殊で。

 

営業時間が決まっているわけではないので

朝6時台でも夜8時台でも家に人が来ることがあり、

電話が夜中でもかかることがある。

だから、義両親が旅行でいない夜は、なかなか安心して眠れない。

 

行事があれば、1日に100人以上お客さまがいらっしゃることがあったり、

約束の2時間も前にお客さんがいらっしゃったり、

突然来られたお1人のお客さんが、2時間も3時間も話していかれることもあったりする。

 

むしろ、この一見無駄に思える「おしゃべり」がとても大事な仕事でもあるので、

断ったり突き放したりすることができません。

 

とにかく

かなり時間の予測を立てにくい仕事なんです。

時間が経っていくイラスト

また、

そんな風に「いつ誰が来てもいいように」と、

家の掃除や管理も欠かせない。

田舎なので、敷地もかなり広い。

 

同居を始めた当初は、

「私…世代交代したら、このお家管理できるかしら…」

と途方に暮れたものです。

 

 

とはいえ、

義母の仕事を学ぼうと付いて回ろうとしたものの

どうにもこうにも私の体力がもたなかったり、

義母にハッキリと

「まぁ別に今のうちの状況じゃあ、家に女が二人もいらないもんねぇ」

と言われたり…。

 

 

そうですよね。。。

私たちの都合で始まった同居だもの。

義両親に催促されたわけではなかった。

 

あぁ…別に私、ここにいる必要ないんじゃないかな…

 

 

私の存在意義って…ないのかな…

孤独な女性

 

と落ち込んだりしていました。

 

初めての育児とジェネレーションギャップ

 

同居2年目には、子どもが産まれました。

 

初めての産後で体はボロボロ。

頻回授乳で落ち着いて眠れない。

数時間離れただけで、息が苦しくなるくらいカチカチになる胸。

シャワーが当たるだけでも痛く、うつ伏せで寝ることもできない。

 

初めての「自分の都合で動けない」という状況に戸惑い、

寝不足で頭が回らず、とにかくそっとしておいて欲しい…

産後の産後の女性と赤ちゃん

 

という私の思いとは裏腹に、

退院後すぐからひっきりなしにお祝いの嵐。

休みたいのに休めない。

 

自営業の定めか…長子の時は100人以上の方々からお祝いをいただきました。

(有難いのですが…内祝い大変でした)

 

え…

 

産後ってこんなにキツいの!?

聞いてないよ!!

 

 

そんな風に、

私自身、初めての育児で何が何だかサッパリ分からず

あたふたしているところに、

義両親からの追い討ちが…。

 

「泣いているのをすぐに抱っこしたら悪いんじゃないのか」

「抱き癖がつくんじゃないのか」

「お風呂上がりには白湯を飲ませないでいいの?」

 

義両親はもうすぐ70歳。

その頃の子育ては、早くからの子どもの「自立」を良しとした時代でした。

 

でも、技術の進歩や時代の変化により、

その世代ごとに「子育ての常識」ってちょっと変わりますよね。

 

そんなことを知らない私からすると、

 

なぜ泣いている赤ちゃんを抱っこしたらいけないの?

「抱き癖」って何だ?

なぜお風呂上がりにわざわざ白湯を飲ませなければならないの?

 

なんでなんでなんで?

 

 

それが、世代間の育児ギャップなんだとわかった後も、

同居“させてもらっている“身としては

「今は違うんです」とは言えず。

 

この子を何とかして義両親から守らねば。親子の孤立

 

そう思い、子どもの成長だけを心の支えにしていました。

 

 

今考えれば、言葉が足りなかったから

お互いがお互いのことを理解できていなかっただけなんだ、と分かるんです。

 

でも、その時の私は

育児に対する考え方が違いすぎたことがかなりショックで、

なかなか義両親との心の距離を縮められず…。

 

別居が何度も頭をよぎりながらも、

世間体が…と踏み切れないまま時は過ぎていきました。

家の工事も始まりました

 

そうこうするうち、

まだその子が1歳にもならないうちに大掛かりな家の工事が始まりました。

 

木造工事の写真

 

昔ながらの、大工さんが木材を加工するところから始まる木造建築。

解体から最終的な完成までは1年2ヶ月ほどかかり、

その間毎日、10時と15時にはお茶とお菓子を出す日々。

 

買い物にもなかなか出られない。

同年代のママ友を作りたいと思っても、

小さい子が集まる場所にすら行くことができない。

今のようにネットも使っていなかったので、ネット上での知り合いもいない。

(ガラケーでしたし)

 

子どもが生まれたことで

私が「ここ」にいることの存在意義が生まれ、

日々の生活や初めての育児でいっぱいいっぱいになったことで

猛烈な孤独感からは解放されましたが、

 

何とも言えない疎外感は残り、

独り、子どもを守るために戦っているんだ、という気持ちは強くなる一方でした。

 

超絶ブラックな旦那の仕事

 

そんな私は、家事育児と家業手伝いが主な仕事でしたが、

義両親が現役で仕事をしていたので

旦那は外で働くことに。

 

同居をする前にも同じ仕事をしていたのですが、

これがものすごいブラックで…。

残業している人

 

朝は6時過ぎに家を出て、夜は9時か10時くらいまで仕事をしてるのに、

仕事が終わらず、家に帰っても落ち着いて寝られない。

 

朝食は、食べると仕事に支障が出るからと食べず、

昼食は仕事が忙しくて食べられない日がほとんどで、

ちゃんとした食事は晩の1回のみ、という状態が普通に。

 

夜は何とかして起きて仕事をしようとするため夜食が増え、

でもやっぱり眠気に勝てずそのまま寝てしまうから

歯はボロボロ。

今の仕事を始めてから、神経を抜いた歯が3本くらいあります。

(つい先日、その神経抜いた歯が欠けました( ゚д゚)

疲労した男性

 

もちろん、

そんな生活をしていたら健康診断もしっかり引っ掛かってしまい、

保健所の人がわざわざ訪問してきて

「この年齢でこの健康状態はちょっと…」

と指導が入る有様。

 

でも旦那は「時間がない」と病院には行かない。

 

 

しかも、

そんなに体をボロボロにしながら働いても、

当時は理由があり非正規だったので、

正規の人と同じか、それ以上の仕事をこなしても

正規の人の80%くらいしか手取りがなく。

お金がなくて項垂れる男の人

 

旦那は、給与明細を見るたびに、

「こんなんでごめん」と私に謝っていました。

同居をしていたからこそやってこれたのは間違いありません。

ボロボロになったのは体だけではなかった

 

ただ…それだけなら、まだ良かったのかもしれません。

この仕事は、旦那の心もボロボロにしました。

傷ついた心

どんなに手を尽くしても、

自分ができる限りのことをしていても、

上手くいかないってことはありますよね。

結果がすぐには出ないってこともよくある。

人相手の仕事なら尚更です。

 

旦那は決して「仕事ができない」タイプではなく、

「仕事ができすぎるが故に抱え込んでしまう」タイプ。

 

同僚からもよく仕事を振られていて、

「それ、あなたがしないといけない仕事なの?」

というセリフは何度言ったかわかりません。。。

 

日頃から10手くらい先を読んでいるような人なので、

先を見越してあれこれ準備や根回しをして…

 

毎度、出張時に抜かりなく準備をするので、

同僚には「諸葛亮孔明みたい」と言われたことも。(ちょっと褒めすぎ…)

 

 

そんな旦那の仕事、

小学校の教員なんです。

先生と子どもたち

 

表向きは、明るく楽しく、時には厳しい

メリハリの効いた先生で通っているようですが、

内情はボロボロ。

 

今流行りの「ワークライフバランス」なんて、

当時は夢のまた夢でした。

 

それでも、何年かは何とかやっていけていました。

若さと体力と…気力で。

 

でも…やっぱり限界が来たんです。

たった数日の不在で起きたクラス崩壊

 

私が2人目を妊娠している年に受け持っていたクラスは、

校長直々に「この学年を受け持って」と任されたクラス。

 

前年度に少し荒れていて、このままでは心配だな、という感じで、

正直、正規の先生に持ってもらった方が…と思うような状態でした。

 

だからこそ、旦那も気を遣って運営していたクラスでしたが…

 

年が明けた1月、旦那が急性盲腸になり入院した数日間で、

クラスが崩壊しました。

黒板の写真

 

もう、年度内にクラスを立て直すのは不可能でした。

 

しかも、旦那が入院したのは、私が2人目を出産してわずか2日後。

私はまだ産院にいて、旦那を病院に連れて行くことすらできませんでした。

どう見ても「鬱」状態の旦那

 

私は傍で旦那の仕事ぶりを見ていたし、

朝の6時台や、夜10時過ぎに保護者から電話がかかっているのも知ってるし、

何よりも子ども達のためにと、旦那が日々一生懸命だったのも見ていました。

彼が苦しんでいるのも知っていた。

 

そんな旦那。

 

結局、

鬱状態になり、その年の3月で仕事をやめました。

(でも頑なに病院にはいかなかったので、診断はもらいませんでした)

 

 

というか、

旦那が自分で「やめたい」と言える心理状態でもなかったので、

 

私が

「命の方が大事!」

「同居してるからお金のことは何とかなる!」

 

と旦那を説得し、

私から義両親に事情を話しました。

 

話し合う様子

 

息ができなくなるくらい切なかった。

でも、私しかそんな旦那の様子を知らない。

 

私がしっかりしなくては!

 

旦那の状況を真に理解できて、旦那を守れるのは私だけだ!

 

と自分を奮い立たせて、

勇気を出して話したのを覚えています。

 

義両親も、

旦那がちょっとしたことで怒りやすく

子どもへの当たり方がいつもと違うことには気づいていたので、

「もうそこまでなら」

と、旦那が辞めることに理解を示してくれました。

考えが甘かった「お金のこと」

 

私、この時、

「同居してるからお金のことは何とかなる!」

と思ってましたし、実際何とかなったのですけど…

 

やっぱ世の中そんなに甘くない。

 

旦那は、非正規だったので、休職ということができない。

退職するしかないけど、退職金もない。

辞めるので精いっぱいで、

もちろん次の仕事も決まってない。

 

4月から、

本当に、ぱたりと収入がなくなりました。

飛んでいくお金と焦る女性

 

まだ子どもたちが小さかったので、

お金がかかることが少ないだろう。

同居もしてるし、節約したり外出を控えたりすれば、

少ない貯金でも何とか生活していけるんじゃないか?と

思っていたのですが、

 

問題はそこではなかったんです。。。

 

仕事を辞めた経験のある方ならお分かりかと思いますが、

退職をしても、

「税」は前年度の収入に応じて決められますよね。

 

「今」収入があろうがなかろうが、

税金はずしっと重くのしかかってくる。

税金が重くのしかかるイラスト

元々少ないお給料の中から、

子どもたちの保険が引かれ、

同居費(といっても食費等込み込みですが)が引かれ、

生活費や雑費が引かれ、

 

それでも何とか少しずつ貯めていた貯金を、

いつまでかは分からないけれど

切り崩して生活していかないといけないという状況になったときに、

 

私たちに、この「税金」を払う財力はなかった。

 

結局、その当時は義両親からお金を借りて生活をするしかありませんでした。

 

この時にアフィリエイトに出会っていれば…

 

私が旦那の実家に転がり込んだ時もそうでしたが、

働いていないと、ものすごく世間から隔離された感じがするんですよね。

あと、「若いのに働いていないなんて…」みたいな世間からの目もある。

 

旦那も、

無事仕事をやめられて、命がつながったことは良かったけれど、

 

今度は

「次の仕事が決まらないこと」

「働いていない事への罪悪感」

「子どもが2人もいるのに収入がないという現状」

に苦しむようになります。

 

今となっては、

この時、アフィリエイトを知っていれば…

と、強く思うんです。

パソコンで仕事をする男性

パソコン1つで生活していけるようになるよ。

大丈夫だよ。

教員以外でも生きていけるよ。

 

そう、旦那に伝えることができるから。

 

 

ただ、その時の私は、

アフィリエイトどころかネットで調べものもほとんどせず、

ネットで買い物もしたことがなかったくらいでした。

 

その理由の1つは、

子育てに追われすぎて

ネットの世界に興味がなかったこと。

 

 

そしてもう1つは、

まだまだ「ネットは怖い」というイメージの方が強かったこと。

ネットトラブルに悩む女性

クレジットカード番号の入力なんて、恐ろしくてできませんでした。

 

 

そんな私が、

こうやって今、情報を発信する側になるなんて、

その時は想像すらしていませんでした。

 

選択肢がない!

 

旦那は、仕事を辞めてから

資格を取ったり他の仕事を探したりしたのですが、

 

結局、

仕事を辞めてから半年後、とてもお世話になった先生からお声がかかったのを機に

再度教員として働くことになりました。

 

その時は、それしか道がなかったんです。

選択肢がなかった。

就職先がない男性

 

これ、

30代だから再就職先が…

という問題よりも、

 

 

    • 自営業と両立できる仕事であるか(時間の融通が効くか、地元に残れるか)

 

    • 世間体が気にならない職業であるか(自営業のイメージダウンにならないか)

 

 

と、これらの条件をクリアするのが難しくて。。。

やっぱり田舎でそんな都合のいい話、

なかなかないんですよ。

 

アレコレ悩んだ結果、

元鞘に収まるしかなかったんです。

 

 

そして、私はというと

2人の子ども達の子育てに追われ、

あまりこの時期の記憶はありません。

 

下の子は首も座っておらず、上の子は激しい赤ちゃん返り。

今振り返っても、一番大変な時期でした。

 

私とアフィリエイトとの出会い

 

時は流れ、

私は3人目の子どもを妊娠し、出産。

その子が生後4か月のときに

とうとう!

アフィリエイトと出会います。

 

 

2017年9月のことです。

義両親と同居が始まって、丸6年が経とうとしていました。

 

一番上の子は幼稚園の年中。

真ん中の子は2歳。

真ん中の子と一番下の子はまだどこにも預けず、

家で見ていました。

5つのつながったハート

 

旦那が仕事を辞めたことをきっかけに、

私自身も何か収入を得られるようになりたい、という思いはありました。

 

旦那の生命の危機もリアルに感じましたし、

お互いに何かあったとしても、

子どもを育てられるだけの財力がないと、と。

 

そしてあわよくば、旦那を今の仕事から解放してあげたい。

 

でも、子どもを家で見ている状況で、

そしてまだまだ2、3時間おきに授乳をしている状態で、

とても外で働けるとは思えませんでした。

 

 

そんな時、旦那が

「アフィリエイトって知ってる?」と。

 

ブログのイラスト

 

どうやら自分が他の仕事を色々探しているときに

ネットで稼げるアフィリエイトというのがあるよ、と知ったらしいのです。

 

でも、旦那は相変わらずな生活を続けていて、

時間的にも体力的にも副業をする余裕はない。

 

だから、私に「やってみない?」と。

 

 

私、ネットからはしばらく離れた生活をしていたのですが、

親がプログラマーだったのもあり

パソコンは私が小さいころから身近にありました。

タイピングするのも面白くて好きだったなぁ、と。

 

一番下の子がまだ小さかったのが気がかりではありましたが、

子どもが小さい今、稼ぐ基盤を作っておくことができれば

子どもが大きくなっても安心。

またいつ旦那が倒れるかわからないし…。

 

そう思って、決死の覚悟でアフィリエイトを始めました。

6ヶ月後には稼げるようになってる!?

 

まず、右も左もわからなかった私は、

ある教材を手に入れ、その教材を元にアフィリエイトを開始しました。

 

その教材には、実践の目安として「6ヶ月」と明記してあったので、

決死の覚悟でアフィリエイトを開始した私としては

 

「じゃあ半年後には稼げるようになってるのね!」

笑顔の女性

と思っていました。

 

あ、いや、

簡単に稼げる、とか、

コピペで10万!みたいな、

そんなことはもちろん思ってなくて。

 

私が手に入れたかったのは

しばらく手を加えられなくても、継続して報酬が入る「仕組み」

でした。

 

 

子育てで手が離せなくても、

家業が忙しくてパソコンを何日も触れることができなくても、

毎月同じくらいの収入を得ることができる。

たとえ私が数日全く動けなくても、家族を支えられる。

 

そんな仕組みって、簡単には作れませんよね?

 

だから、

「すぐに」とも、

「簡単に」とも思ってなかった。

 

多少時間や労力がかかっても、

流行などに左右されにくい仕組みが作りたい。

 

そう思ってました。

初めてのアフィリエイト経験

 

その教材に沿って順調に進めていくと、

「ブログで稼ぐ練習」として、

無料ブログを作ってアフィリエイトしてみる、という作業があります。

 

この行程をしている時、

たまたまテレビに出ていた商品を購入し使ってみたら

「これいい!」と感動。

これいい!のイラスト

 

「誰かアフィリしてるかな?」と思って調べてみると

ライバルがいなかったので、

慌てて数記事書いてみたら、そこからポツポツと報酬が発生!

 

「私が書いた記事を読んでもらえて、私がオススメしてる商品を買ってもらえた!!」

 

この時の喜びは、忘れられません。

(ただし楽天だったので、2万近い商品でしたがアフィリ報酬はそんなに多くはなかったという…(;A;))

 

 

誰かの役に立てたのかな?

私の声が届いたのかな?

嬉しいな(*´∇`*)

 

 

自分が紹介した商品を手に取ってもらえる嬉しさや楽しさを、

この時初めて知りました。

 

私がアフィリエイトを始めて3ヶ月目の出来事でした。

 

何年にもわたる迷走の始まり

 

ゆっくりな進みでも、割と順風満帆のように見えた私のアフィリエイト生活。

 

が。

 

それは、その後何年にも渡る迷走の始まりに過ぎなかったのです。。。

 

 

無料ブログの次は、独自ドメインをとってWord Pressでサイトを運営していきますが、

このメインブログのジャンルで、私は何年も彷徨うことになりました。

 

この教材では、情報教材を売って稼いでいくというのを収入の柱にしています。

なので、需要があり、また供給側の市場もあるジャンルを狙っていくのですが…

 

そのジャンルのどれも、私の中でピンとくるものがなかったんです。

悩む女性

 

とはいえ、わかってるんです。

 

稼ぐ為にアフィリエイトを始めたんです。

 

需要も供給もある「稼げる場所」で戦わないと、稼げるようにならないっていうのは

重々承知してるんです。

好きなことで稼ぐ、なんて現実でも難しい。

 

だから、マインドマップを書いて

なんとか自分の中で興味のあることと、

その「稼げるジャンル」と言われるものとのすり合わせを、何度も試みました。

マインドマップのイラスト

最初から

「これは無理、できない」と投げ出した訳ではなく、

何度も迷って、何度もサイトを作り直して、

色んなジャンルでやってみようと試みて…

 

それでもやっぱりサイトを作り上げることができなかったんです。

 

記事が書けなかった。

 

どんなに、「これで稼げますよ」と言われても、

自分の気持ちがついていかなかったんですよね。

そのジャンルに興味もわかない。

 

 

更に、よく言われる「実績」もない。

例えば、「月5万稼げる」ようになるためのサイトを作りたくても、

自分が月5万稼げてないから何を書いていいのかわからない。

 

ネットにある色んな情報を集めてなんとか記事にしても、

ありきたりな文章しか書けない。

だって実感こもらない…。

私自身が「稼げた世界」を知らないのだから。

 

もう、ブログで稼げるようになる要素が一つも見当たりませんでした。

 

この頃、色んなブログを見ていたのですが、

「今月はこれだけ稼げました!」

と金額を載せていたり、

「ブログで月数万なら簡単!」

と書いてある記事を見る度に、

アフィリエイトで稼ぐという世界が、ほとほと遠く感じました。

遠くをみつめる

何をどう頑張ったらいいのか分からない…

 

そうこうしているうちに、

当初、稼げるようになる期間の目標として掲げていた「半年」などあっという間に過ぎてしまい、

旦那からも

「あれ?半年って言ってなかったっけ?」

と、からかい半分、諦め半分の言葉をかけられるようになりました。

 

どうしよう…

年1回のサーバー代も払えない…

お金がない女性

 

月1万どころか、

1年かけても1万円稼げないという日々が2年半ほど続きました。

 

 

私自身、アフィリで稼ぎたいと思っていた目標金額も

「月30万稼げたら旦那をやめさせてあげられるな」

と思っていたところから、

 

「あ、いや月10万でも別の仕事に替えられるよね…」

「月5万あれば生活が楽になるかな…」

「っていうか月1万の壁は高いな…」

と、どんどん下がっていきました。

下がるイラスト

旦那には、

「アフィリそんなに頑張らなくていいよ」

「稼げるようになるの、もう期待しないから」

とまで言われるようになりました。

 

さすがにここまでくると、

「これはマズイ」

と私もエンジンがかかります。

 

でも、何をどう頑張ればいいのか、分かりませんでした。

「稼げない」を終わらせるために

 

そんな時、

とあるメルマガで知り合った人に、

選ばれればコンサルを受けられるかも?という機会がありました。

 

実績のある人でしたが、

私、この人が出された教材にかなり心酔してて、

本当に何度も何度も、その教材を読み返していました。

 

あんな教材を作る人のコンサルならぜひ受けたい!!

今度こそ「稼げない」から脱却したい!!

 

高額コンサルでしたが、何十人と応募がある中、

なんとたった3人のうちの1人に選ばれ、

コンサルを受けられることに!

 

今度こそモノにするぞ。

「稼げない」を終わらせるんだ!

決心した女性のイラスト

そう意気込んで、その人とやり取りを始めました。

ジャンル設定を難しくさせていた大きな理由

 

私がジャンル設定に悩んでいたのには、

実はもう一つ大きな理由がありました。

 

というのも、

旦那だけでなく、私自身も中学校の教員として働いていたことがあり、

教えていた教科は、まぁ得意というかホームというか。

 

そうなんです。

何も持ってないわけじゃない。

 

「人に教えられるだけの技術と知識はある」という自負が…

あったんですよね。

 

 

ただ、このジャンルは、

私がアフィリエイトを始めたときの教材の「稼げるジャンル」には入っておらず、

泣く泣く自分で却下していました。

 

そして確かに、

大きく稼げるジャンルとしての要件は満たしてなかったんです。

バツを挙げる女性

 

だって、稼ぐ系の情報教材のような

「大きくアフィリ報酬を得ることができる案件」自体がそもそも少ない。

このジャンルでの「稼げる未来」はなかなか見えなかったんです。

 

でも、このジャンルでなら書けるのにな、と。

 

 

その人と初めて電話をした時、

「やっぱりその得意なジャンルでブログを作ってみませんか?」

と言っていただきました。

 

「え、いいんですか?」

と私はビックリ。

 

だって「稼げるジャンル」じゃないのに。

 

と思っていましたが、

どうやら、収入の得方をアフィリエイトに限らず、

コンテンツ販売等も含めて考えてくれていたからのようでした。

私が教材アフィリ?ありえない!

 

その時、

そのジャンルでは数少ない

「アフィリエイト報酬を得ることができる情報教材」を

紹介してみませんか?とお誘いが。

 

 

…これ。

ソッコーお断りしました。

 

 

理由は、

まだその時は、そのジャンルに「情報教材で学ぶ」という方法が浸透しておらず、

私自身がその「学び方」自体に疑問があったから。

 

そしてもう一つ。

私が情報教材をアフィリするなんて!!

というマインドブロックが大きかったから。

ありえないという素振りをする女性

 

え?

だって、そういう「買うまで中身がよく分からない」情報教材を紹介するってことは…

 

 

    • こんなはずじゃなかった!思ってたのと違う!返金しろ!みたいなクレームが来てしまったり

 

    • それ、サポートの域を越えてるんだけど…と思いつつも断りきれず、自分自信がしんどくなってしまったり

 

    • 「これイマイチなんだよな…」と思いながらも、利益のためには紹介せざるを得なかったり
    • そもそも高い教材を売りつけることに罪悪感を感じてしまったり

するってことですよね?と。

 

いや~(><)

 

それは無理!

私がセールス!?  ありえない!!

どんなに20年以上やってきている自分の得意分野でも、それはキツい!

 

ということが、

電話で話をしているものの数秒の間に頭の中を駆け巡り、

 

「それはちょっと無理です…」

 

という返答に。

 

結局、その人とのコンサルの中ですることが出来たのは、

特化ブログを作ることだけでした。

文章は書けるのに、記事が書けない

 

でも、このブログ…

この時、全然収益化出来なかったんです。

 

なぜかというと、

その人のコンサルが悪かったとかそういうことではなく、

そもそも、私が記事を書けなかったから。

 

メールの文は長々と書けるのに、

「記事になると、なぜか書けないという

自分でも謎な現象に陥っていました。

パソコンの前で困った顔をしている女性

この理由は後に判明し、

私が抱えていた問題はある方からのアドバイスでスルスルと溶けていくのですが、

その時の私には分からなかったのと、

おそらくコンサルをしてくれた人も分かっていなかったと思います。

 

メールは頻繁に返ってくるのに、

「記事を書いてください」と言っても

なかなか書いてこないコンサル生…

「なんでだ!?」と思っておられたことと思います(^_^;)

 

 

結局、何十万もかけて受けたコンサルの終了時点で

収益は0。

 

私、何してるんだろう…

 

「稼げるようになるんだ!」

と意気込んで始めたアフィリエイトでしたが、

私は2度もチャンスをつぶしてしまったんです。

 

それでもやっぱりアフィリエイトで稼げるようになりたい

 

そうこうしているうちに、

私は4人目の子どもを妊娠。

この時はつわりがひどく、食事どころか水も飲めない日々が続いていました。

 

スマホやパソコンの画面を見ると気分が悪くなり、

とても記事を書ける状態ではありませんでした。

 

 

時は流れ、

2020年、東京オリンピック・パラリンピックが開催されるハズだった年。

 

この年の6月、私は4人目を出産。

産後1ヶ月が経った時、再度アフィリエイトに取り掛かります。

 

 

やっぱり…

「アフィリエイトで稼げるようになる」ということが諦められなかったんですよね。

会員制のSNSへ参加

 

この時、今まで参加していなかったあるSNSに思い切って参加しました。

ネットワークでつながる人々

会員制のSNSなのですが、

このSNSは私がアフィリエイトを始めるきっかけとなった

あるメルマガアフィリエイターさんが運営されているSNS。

 

このメルマガアフィリエイターさんが不思議な方で。

とーきたましかメルマガが来ないんですが、

メールフォルダにメルマガを発見すると、なぜかすぐに読んじゃうんですよ。

(他のメルマガは開けずにスルーすることも多いのですが…)

 

メルマガアフィリエイターとして活躍されていますが、

ブログでもアドセンスやASP、はたまたアダルトまで網羅して結果を出しているという

すごいお方で。

 

その会員制のSNSの中には

そのメルマガアフィリエイターの方をはじめとして

実際にネットビジネスで稼いでおられる方がたくさんおられます。

 

あ、アフィリエイトってやっぱり稼げるんだ!

夢じゃないのね!

と、改めて思わせてくれる場所です。

 

 

アフィリエイトに関する最新の情報だけでなく、

こんなことしてみたよ!という報告や

外では言えないアフィリエイターならではの悩みなど、

まさに今、アフィリエイトに関わる人達の生の声が詰まっている、

私にとっては貴重な居場所です。

 

今思えば、ここに思い切って参加したことが

この先のアフィリエイト人生を切り開く大きなポイントだったように思います。

「記事が書けない」その理由は?

 

というのも、

このSNS内で、私が

「自分の得意なジャンルのはずなのに、なかなか記事が書けない!」

という悩みを吐き出したことがあります。

 

実はその根底には、私がある事件をきっかけに

「ネット上で、間違った情報がさも正しいかのように見えてしまうことで、悲しい思いをする人がいる」

ということに気づき、

 

「ネット上に情報を公開するということは、世界中の誰でも見られるものである」

「だから記事は正しく書かないといけない」

「誰が読んでも誤解を招かない書き方をしなきゃ」

 

という思いを強く持っていた、ということがありました。

 

「私が知っている程度の知識で書いていいのかな?」

「例外とかもあるけど…」

「私は正しいと思って書いているけど、それは本当に正しいことなの?」

 

本当か嘘かを見抜く女性

記事を書こうとパソコンに向かうものの、

そういう思いが頭の中をよぎり、固まってしまい文が書けない。

 

既知の情報なのに、

「え、私が今までこう思ってたことって、本当?」

とものすごく不安になり、

 

改めて情報をかき集めてみるものの

やっぱり知っている以上のものは出てこない。

 

知識や情報自体は自分の中にたくさんあるのに、

それをブログの記事として書き出すことができなかったんです。

 

 

この悩みに、

そのSNSを運営しているメルマガアフィリエイターの方が丁寧に答えてくださって

 

「あ~その“正しくないとダメ病”ね、サポートなどでもよく出会う症状なんですよね」

「私も“正しく伝えたい”とは思っているけど、それでも書けなくなったりはしないんです」

「なぜなら…」

 

と。

そのお返事を読んで、私、とても心が軽くなりました。

 

あ、なるほど、そう考えればいいのか!

こんなことで悩んでるの、私だけかと思ってたけど

他にも同じようなことで悩んでいる人もいるのね!

感心している女性

この方のお返事を読んでから、

本当に記事が書けるようになりました。

 

いや、1日1記事!みたいなことはやっぱりできないんですが、

それまで「半年で1記事」だったのが「1ヶ月に2記事」くらいに変わりました。

 

たった2記事(笑)

でもこれ、私にとっては大きな変化でした。

 

そして、

実際にそれが収入にも反映されるようになり、

ずーっと0だったアドセンスが

19円、25円…と徐々に増えていきました。

その一方、旦那の仕事では…

が。

 

そうやって私がやっと記事が書けるようになったころ…

 

別の問題が発生しました。

 

それは、旦那の仕事。

 

またか!と思われそうですが、

旦那が新たに赴任した小学校で、旦那の教員生活最大のピンチが訪れます。

 

 

2020年に開催されるはずだった東京オリンピック・パラリンピック、

結局次の年に延期されましたよね。

 

今もなお世界的に猛威を振るっているコロナ禍の到来により、

大人も子どもも精神的に落ち込んでしまったからなのか?

その地域特有の何かがあるのか?

 

私にも詳しいことは分からず話せませんが、

旦那のクラスにいた子どもたちに、

次々と心のえぐられるような事件が起きたようです。

 

悲しい顔

 

旦那は、子どもたちの考え方や精神状態を見て

今までの教員経験をフル稼働させて

かなり気を遣って接していたようですが、

 

それでも…限界が来たのだと思います。

 

 

年度が始まってすぐの5月時点で、

すでに怪しい気配は漂っていました。

4人目出産してすぐ、それは確信に変わりました。

 

「やめたい」

 

その言葉を何度聞いたかわかりません。

旦那の状態は7年前の時より酷かった。

 

精神的に追い詰められていた旦那は、

食事が摂れなくなり、半年で10キロ痩せました。

 

マスク生活が始まり

ぱっと見では顔色や表情が分かりにくい状態でも、

数か月ぶりに出会った元同僚の先生に

「旦那さん、大丈夫?」

と心配されるほど。

 

家でも段々としゃべらなくなり

食事を摂れても全部戻してしまうようになりました。

 

子どもたちが寝静まった後

部屋の片隅で体操座りをして、一人むせび泣いたり

朝、起きられなくなったり、、、

 

登校拒否をする子どものようですけど、

「行きたくない」

「もうやめたい」

ほんと毎日、そう言っていました。

 

 

そして年が明けるころ、

とうとう「死にたい」を口にします。

鬱の男性

 

私は、旦那を抱きしめることしかできませんでした…。

 

「俺が死んだら、ちゃんと生命保険、受け取ってね」

「俺とのやり取りは過労死の証拠になるから、消さないでとっておいてね」

「子どもたちを頼んだよ」

 

そう言われる度、

 

「そんな事言わないで」

「お金なんかいらない、生きてたらどうにかなる!」

 

と言いつつも…

 

最悪の事態も覚悟しておかないとな、とは

思っていました。

 

 

「私も…稼げるようになるから…」

 

そう小声で呟く私に、

旦那は期待していないようでした。

 

「私は今まで何をしていたんだ!」

と、強く自分を責めました。

 

旦那を教職から解放するために始めたアフィリ。

何年も準備期間があった。

その間、何を成し遂げられた???

教材に、コンサルに、お金支払っただけだったんじゃないの?

(しかもコンサルは旦那には内緒だったし…)

 

 

「今」稼げるようになっていれば、

何も心配することなく

旦那をやめさせてあげられたんじゃないの?

自分を責める女性

 

稼げるようになりたくて、アフィリを始めたんじゃないの?

一体この数年間、何をしていたの!?

 

 

自分が情けなかった。

もっと睡眠時間をけずれば、もっと何かできたんじゃない?

自分を甘やかしすぎだったんじゃない?

今こそ「稼げる仕組み」が必要なのに!!!

 

 

…結局、

旦那は心身共にボロボロの状態でも

何とか最後まで勤めることができましたが、

 

その様子を見ている私は、旦那が車の運転をするもヒヤヒヤして怖かったし、

毎日「今日無事に帰って来れるかな」と心配する日々を送りました。

 

もちろん、その間何度も

私が「病院に連れていきたい」と言っても、

「(クラスの状況的に)休める状態ではない」と、

首を縦には振ってもらえませんでした。

やめることすらできない現状

 

そして、

私が稼げていなかったことで

旦那が「やめる」という決断をなかなか下せず…

 

限界を越え、

意を決して「やめたい」と周囲に伝えた頃には、

時すでに遅しでした。

 

 

実は、4人目が生まれたことをキッカケに、

正規採用になる道を選んでいました。

非正規のお給料では、子どもを4人育てるのは不安でした。

 

正規採用になると、人事を決める都合で

非正規の頃のように簡単にはやめられず、

勤務地は変わるけれど、次年度も教員自体は続けざるを得ませんでした。

 

最終的には、

旦那ばかりに負担が行った形となりました。

 

足りなかったものを求めて

 

その年の3月。

 

春休みに入ってから、

旦那は何かに取り付かれたように

元教員Youtuberの動画を見漁っていました。

 

傍で見ていて、ちょっと怖くなるくらいでした。

 

授業準備がいらない中、

こんなに夜中も朝方も起きておく必要がなくても、

もう、眠れなかったようです。

 

不安と緊張、焦り…

自分には何が足りなかったんだろうか?

その答えを求めて旦那は彷徨っていました。

 

その後、学級経営の本なども読んでいましたが、

「やっぱり俺、そんなに変な学級経営してなかったと思う」

と、ボソリと呟いていました。

 

「本に書いてあること、俺すでにやってるんだけど…」

と。

 

あの時、何が足りなかったのか?

何が悪かったのか?

 

その答えは見つからないままです。

アフィリエイトの本質を知りたい

 

私が既に稼げていたら、こんな事態になる前に…

もっと早くにやめる決心がついただろうに。

そうしたら、ここまで旦那を苦しませずに済んだんじゃない?

7年前に旦那がやめた時から、私成長できてる?

家族のために、本当に頑張れてる?

 

 

自問自答しましたが、

それで収入が増えるわけではなかったし、

「稼げない私」が変わるわけでもなかったんです。

 

現状は変えられなかった。

 

そんな自分が不甲斐なかった。

 

 

だけど、その時の私には

「私がアフィリエイトで稼げている未来」が全く見えませんでした。

落ち込む女性

 

とはいえ、さすがに

アフィリエイトを始めた当初のように右も左も…というわけではなくなったし、

「これで数万稼げますよ~」

という話も、嘘ではなく、

実際に起こりうる話なんだな、とわかるようにはなりました。

 

 

ただ、

そういう話って、聞くだけで終わることも多く、

少しやってみても、思ったほどの結果にはならない。

 

もっと核心をつくと、

「教材通りに全部はできない」

というのもあったと思います。

 

そんな中でも、私が目指したいのは

しばらく手を加えられなくても、継続して報酬が入る「仕組み」

を作ること。

 

ここは変わらなかったので、

あまり単発でしか稼げない方法には興味がなかったのもあります。

 

 

でもね。

 

アフィリエイトで稼げるようになってる人は、

なぜか何をやっても上手くいってるように…見えるんですよ^^;

 

何か私には見えていない「稼げるようになるためのポイント」があるんじゃないかな?

 

目先のちょっとした収入を得るための方法ではなく、

 

「アフィリエイト」の根幹というか

「ネットで稼ぐ」ということの本質というか

「稼いでいる人にしか見えていない物事の見方」というか

本質を見る

 

そういうのを学びたい。

 

だってそれが身につけば、

何年アフィリエイトに取り組んでも稼げなかった私でも

稼げるようになるってことでは?

 

そんな思いが強くなりました。

運命の…!?出逢い

 

そんな時、

私は、ある運命的な出逢いをします。

 

その出逢いによって、

何年もアフィリエイトで稼げなかった私が

「アフィリエイターとしての自覚」を持ち

実際に動いてある初体験をたことで報酬もアップし

そして「どうせ稼げないんでしょ」という目で見られていた家族からも

「仕事してるんだ」と思ってもらえるようになりました。

 

そう、その出逢いこそが

「アフィリエイターごっこ」を卒業するきっかけになったんですが…

パソコンに向かう女性

 

その話、聞いてみます?( ̄ー ̄)

 

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